2022年7月27日水曜日

【そよ風ペダル】夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち

7/26 富田ふれあい文化センター大ホール 担当:渡辺

高槻現代劇場が使えなくなりますので、今後はしばらく富田で活動することになります、そよ風ペダル。
最近は稽古の前にちょっとした筋トレを導入しています。より良い演技はより良い身体から。


とてつもない暑い日でした。事前にちゃんと確認していなかったですが、どうやら最高37℃くらいあったみたいですね。
心なしかみんなの体温も高めだった様に思います。

さて今回も少しずつできていく戯曲を少しずつ読んでいきます。
そしてセリフに出てきてしまいました、「ゴドー」の名前。
どう扱って良いのか、非常に厄介なこの名前。
不条理の代名詞みたいになっていますが、決して小難しいことではなく、小気味良い演技を促すための名前…なのだと思います。
しかしいまいち意味の分からないものを爽快に演じるということの、なんと難しいことか。
(関係ない?ですが、別役実の『やってきたゴドー』という戯曲を過去に見たことがあります。「ですからね?やってきたんですよ!わたくし、ゴドーが!」というセリフで笑ってしまった記憶がある。他にも『ゴドーは待たれながら』なんてのもありましたね。
存在しないものをあたかも存在するかのように演じる…というのはしかし、演劇の本質かもしれない…いや分からない…

まだまだ手探り状態ですが、少しずつ全容が把握されていくこの感じはやはり楽しく感じられます。




2022年7月21日木曜日

有効

 7月20日 千年団 担当:土井

朝から大雨のスマホ警報が何度も鳴っていました。

現代劇場が以前から休館予定だった為、稽古は富田ふれあいセンター小ホールです。馴染みの薄い場所なのでメンバーが集まるのもぽつりぽつりと。

チーフと担当含む7名でウォーミングアップ開始。

1は一人で、2は二人で、3は三人で・・・数字を言いながらジャンプします。3・4くらいが一番むすかしいですね。

大声を出してはいけないと張り紙がしてあるので、発声練習をやめました。


そうこうしているうちまたメンバーが増えてきました。

お土産の炭酸せんべいを頂きながら、車座になりそれぞれの近況を語ります。旅行、家族、お孫さん、千年団メンバー出演のオペラの観劇、参加した様々なレクチャーについて・・・お聞きしていてとても興味深かったです。


チェーホフ「愚図」。

チーフから、何かスポーツをしながら、その動きに女主人と家庭教師の権力勾配を関連つけましょう、という指示がありました。スポーツ?さてどうしましょう?


3ページから5ページは三人。水泳は?ということになり、女主人の邸宅にプールがある事にしました。家庭教師はプールサイドに立ち、優雅に水中ウォーキングする意地悪な女主人に反応します。客はプールだとわかるよう泳いだりもぐったりしつつ「顔を上げなさい」の女主人の台詞に水から顔を出したくなります。


6ページから8ページはスポーツではなく二人でつめ将棋。

女主人と家庭教師の緊迫した空気をよく出していました。将棋を打たないという手もあるのですね。

駒を割る」という言葉があり、駒に体重をかけて意思表示、強い音を出すそうです。実はメンバーは学生の時、団体チャンピオンだったそうです。相手の後ろに回って対局を見るというひふみんの手もあるなど、将棋の説明も楽しかったです。


9からラストまでは格闘技のようです。三人です。

審判が挟む「有効」「待て」「戻り」「技アリ」「戻り」「一本」の一言が可笑しくて。柔道との事ですが経験者がいらっしゃる訳ではなくその出鱈目さがまたいいのです。チーフはこの作品を三人あげたい、とおっしゃります。

技は受ける方が難しいようですが、やられているようでやり返し家庭教師は女主人に抵抗していています。本当に面白かったです。


「愚図」は今回で終了。今後もチェーホフの短編を取り上げます。皆さんはどの作品がお好きですか?








2022年7月20日水曜日

【そよ風ペダル】演技の多層化

 7/19 14:00-16:00 富田ふれあい文化センター大ホール 担当:渡辺


演劇では「劇中劇」の手法がよく用いられます。

演劇は観客と舞台上が地続き…なのに、舞台上は何らかのフィクションを構成しています。夢/現の境界があいまいな訳です。
このことを、近松門左衛門は「虚実皮膜」と形容しました。
そういうメディアの特性のためか、境界が曖昧なことそれ自体を表現する演劇は結構多い。
シェイクスピアなんかはほとんどの作品がそうだと言っても良いかもしれません。
『夏の夜の夢』や『ハムレット』ではベタに劇中劇が出てきますが、『マクベス』なんかでも、登場人物の演技の上手い/下手がドラマの根本に関わっていたりして、演劇や演技それ自体が主題にされていると言っても過言ではありません。

よく演劇自体を主題にする演劇を「メタ演劇」などと言ったりします。演劇のことをメタ(上層)から、俯瞰して考えている、という意味で。
しかし演劇が問題にされ、演劇と現実がよく分からなくなってくるという限りで、上、という感じじゃない気がします。代わりになる良い言葉が思いつきませんが。

「そよ風ペダル」の公演は、前回もそうでしたが今回の作品はよりいっそう「劇中劇」の構造が強いものとなりそうです。
しかしこれが難しいんだ!
俳優は、どういうカラダで舞台に立てば良いのか、様々にその仕方を変えていかなければいけない。いろんな階層のカラダを使い分けなければならない。かなり高度なことが求められる…

私も参加させてもらいましたが、七転八倒右往左往、紆余曲折の悪戦苦闘。前途多難と思いながらも、同時にやりがいも感じたのでした。





2022年7月13日水曜日

【千年団】状況からの上演

7/12 15:00-17:00 現代劇場306 

午前中、山が崩れるんじゃないか、くらいのどしゃ振りがありました。
少し涼しくなるか…と思いきや、湿気もやはりきついですね。マスクをしていると特にね。

チェーホフのいくつかの戯曲など、を様々に上演してきました。
これを本番の上演にどう活かしていくか? を、そろそろ考えていく段になりました。

チーフ小原さんは、時代と場所が異なる戯曲を、現代のわれわれに寄せてアレンジしていこうとしているようです。
『熊』を「ゴルフ場」でやったらどうなるか。
『小役人の死』を「テニスの観戦」の最中と見立てたら面白いんじゃないか。
いろいろイメージがふくらみます。

本日も、前回に引き続き『愚図』。
参加者たちには、この戯曲の自由なアレンジが求められました。
「こういうシチュエーションでやったら面白いんじゃないか」という、発想の面白さもあるのですが、実際にそのシチュエーションに即して演じてみると、身体の使い方や、発声の仕方が明らかに変わる。演技の質が一変するのです。
演技は、俳優が自分でコントロールできる部分と、状況などに触発されて「そうなってしまう」こととの両輪で成立しています。

戯曲が規定するのはあくまで「セリフ」であり、それと大きく齟齬が出ないなら、どの様に演じて=遊んで(play)も良いわけです。
今回、いくつかの遊び方が考案されました。本番に採用されるかはさておき、それぞれの実験が、それぞれに発見をともなっていた。
いやぁ演劇楽しいなぁ、と思ってしまいますね、やはりね。





2022年7月6日水曜日

【千年団】悪意のない悪について

7/5 15:00-17:00 高槻現代劇場305 担当:渡辺健一郎

今回から、チェーホフ『愚図』。気持ち良いとは決して言えない、もやもやが残るタイプの短編です。
主要登場人物は、主人、客、家庭教師の3人の女性。
あれやこれやと言いがかりをつけて、家庭教師に支払う給金をほんの少しで抑えようとする主人。
この言いがかりシーンが芝居全体の8割ほどを占めます。
観客は、彼女に腹を立てるでしょう。「何てひどい人なんだ」!と。
もちろん、家庭教師も相当なストレスを感じているはずです。

ところが主人には目論見がありました。言い負かされるような愚図ではダメ、難癖をつけられてもしっかりと言い返すようでなくては。
難癖は全て演技。給金は全額払うから、今後はしゃんとしなさいね––という教育効果を狙っていた、ということが最後に明かされます。

教育のためなら、相手にどんな負荷をかけても良いのか?
相手が「悪人」なら話はだいぶ単純なのですが、主人には悪意がないだけに、
いっそうのわだかまりが生じます。
世界にうずまく様々な不快は、悪意によってのみ生じるのではない…みたいなことを身につまされる作品でした。

この様な無自覚な悪辣さを演じるというのは、かなり難易度が高そう。
故にやりがいもありそうですが…
しばらくこの戯曲で遊ぶそうなので、俳優がどう演じ変えていくのか、楽しみです。





【そよ風ペダル】演技、の押し引き

6/29 14:00-16:00 高槻現代劇場305 担当:渡辺

※投稿していたと思ったらされていませんでした!先週の分です、すいません。

毎回少しずつ脚本が更新され、背景が見えてきます。
演劇の登場人物は多くの場合、何らかの思惑を抱いています。
今回の、とりあえずのキーマンは「船長」。彼だけが把握している状況があり、それを他の登場人物に悟られない様にしている。

厄介なのは、その「内心」を、客=「外」には見せなきゃいけない。
他の登場人物には悟られないようにしている、ということを客には悟らせなければならない。あまり露骨にならずに。

重要なのは、やはり間、なのでしょう。
「何かを思案している間」みたいなもので、「悟られたくないことがある」ことを表現したりする。

前のめりにならない、何というか、引きの演技みたいなものがあるのかもしれません。
それこそがもしかしたら演技のアルファにしてオメガかも、みたいな気持ちにもなりましたが、流石に言い過ぎかもしれません。