2021年12月28日火曜日

【千年団】繋がっているけど繋がってない

 千年団 12月28日 担当:飯坂

年末です。
でも千年団は集まって稽古をしています。
1月も4日から活動開始です。ぶんぶんエンジンかかりまくっています!!!

今年はコロナで活動がストップしていた時期もありました。でも千年団は新作を上演します。
稽古時間が足りない!ということで自主練習もたくさんしています。

前回の「きしべのひと」は短編がいくつか集まったオムニバス作品でした。
今回の「流行のひと」も基本的には5つに分かれているのですが、全く別の話というわけではありません。
ある話に出ていた夫婦が別の夫婦の話にも出てきて同じ店でご飯を食べている、、というように、少しずつ交わるのです。
普通の1つの作品とも少し違うし、全く別の5つの小作品というわけでもない。
ちょっと面白い構造になっています。

決まった主人公がいる1つの繋がった話ではないので、主軸になる人たちも、場面も語られることもぴょんぴょん飛びます。芝居が進むのに連れて、別の話のシーンで、何かが腑に落ちることがある。
なんとも言えな面白さがふつふつとわいてきています。

どうぞお楽しみにお待ちください!

2021年12月23日木曜日

【そよ風ペダル】「よいお年を」

12月21日 14:00-16:00 担当:渡辺

年内最後の稽古、富田ふれあい文化センター大ホール。

何度来てもホールという空間は何かワクワクする気持ちを引き起こしますね。やはり。

出ハケの段取りや、おおまかな演技の方向性は定まりましたので、

大まかな通し稽古の様なことをしました。


年末年始にかけて、20日間ほどお休みなので、みんな台詞を覚えてきてくれることでしょう!

ということで、リーダーから「後はお客さんとの関係の問題」だ、という要請がありました。

演劇の演技は(映画とは違って)、舞台上にいる相手ばかりを気にすれば良いというものではない。

俳優同士の位置関係や向きなどに気を配って、客からどう見えるかを気にしなければならない。

やや大仰に言えば「空間」への配慮が必要です。


台本を手から離して、身体に余裕が出てくれば、少しずつ「空間」も意識されてくることになる…のだろうか。果たして!

2021年12月21日火曜日

【千年団】俳優のツマミ

12月21日 千年団 担当:飯坂 
千年団第3回公演「流行のひと」稽古をしています。
最近このブログに何を書いたらいいのかわからなくなってしまって書いていなかったでのすが、また書いていきたいと思います。

千年団の稽古でたまに「それはやりすぎですね」という言葉が出てきます。
わたしも俳優をやっているときは、「やりすぎ」を恐れています。
つまり、その演技って目の前の俳優のためじゃなくて、お客さんのためにやってますよね、、?みたいなことだと思います。
例えば、カラオケで盛り上がるシーンがありますが、目の前の俳優と盛り上がるというよりは、「ここ盛り上がってるシーンですよ」ってお客さんに分かってもらうために、わかりやすい優しい演技をしてしまうんですよね。
わかりやすくする分、ちょっと過剰になってしまうのかな。

この「やりすぎ」ってなんやろう

俳優は演じているときにいくつかのスイッチというかツマミがあるのだと思います。
例えば先のカラオケで盛り上がっているシーンは「楽しい」とか「気まずい」とか「盛り上がらなきゃ」とかいろんな気持ちを同時に持ってそこに存在しなくてはいけませんが、「楽しい」のツマミ、「気まずい」のツマミ、それぞれの気持ちのツマミを調整して「楽しい」は40%くらいでだけど、気まずい気持ちも20%くらい持ってて、だから「盛り上がらなきゃ」って頑張っちゃうツマミも20%くらい、、など。

でもこのツマミのボリュームで合ってんのかな?って不安になると大きめに設定してしまうのでしょうか。
それとも現実の生活の方でも頑張って人に伝えようとすることがクセになっているのでしょうか。
何かでこのボリュームが大きくなってしまうと「やりすぎ」になるんだろうなぁと思います。

ずっと適正なボリュームでやってるのに急に何かのボリュームが上がるとそれはそれで面白いですよね。

ボリュームの調整を楽しんでいきたいです。

2021年12月14日火曜日

【そよ風ペダル】大きく、細やかに

 12月7日 14:00-16:00  現代劇場303 担当:渡辺健一郎

基本的な段取りを確認しつつも、丁寧に、細やかに練習を進めています。

リーダーからのかなり繊細で難しいオーダーも頻発しています。

同時に、俳優も演技に向き合っていて、リーダーに色々聞き返します。

このシーンはどういう演技をすれば良いのか。どういう感情で臨めば良いのか。あるいはここで自分が前に出過ぎると次の俳優の台詞にかぶっちゃうけどどうすれば良いのか、といったことまで含めて、いくらでも練習すべき箇所が出てきます。


1シーン通した後の振り返りタイムが一回30分くらいかかります。一日2時間では全然足りない!

気づけば本番まで、稽古も8回程度となってきました。


来週の稽古を終えたら、しばらく年末年始のお休みです。俳優たちが家で詰めて来られるように、来週は大まかな指示を全てし終えたいところ。演劇に関しては「全て」「し終える」なんてことははあり得ないんですが…


2021年12月8日水曜日

【そよ風ペダル】飛躍、急激に!

 12月7日 14:00-16:00  担当:渡辺健一郎

前回脚本が完成したわけですが、それを受けた今回の稽古は、かなり濃密なものとなりました。私にはそのように感じられた。

恐らく各々が、相当脚本を読み込んできたんじゃないかとーー少なくとも、そう見えるほどには濃密だった。

段取りもかなり頭に入って、「演技」に注意を向ける余裕が出てきている。

恐らくリーダーもそれを如実に感じて、調子やリズムの本当に細かいところまで演出をつけていました。


これまでもリーダーは毎回指示を出していましたが、俳優たちは必ずしもすぐには落とし込めていないこともあったように思います。

ところが今回は、かなり各々にしっかり咀嚼して、すぐ演技に反映させていたように見えました。

「今はみんなが良い人であろうとしすぎている。別にわざと人を傷つける必要はないけど、登場人物たちがもっと正直であって良い」といったようなやや抽象的なオーダーに関しても、各々にくらいついていたように思います。


作品の全体像が見えて、一つ一つの演技が全体の中にどう位置づけられるのか、俯瞰の視点を持てているのかもしれません。

これからまだまだ、どんどん良くなっていきそうです。


2021年11月30日火曜日

【そよ風ペダル】楽しく遊ぶこと

 11月30日 14:00-16:00  担当:渡辺健一郎

「遊ぶ」って年々難しくなってきています。

こどもの頃は、息を吸うように遊んでいたようにおもいますが、今となっては少し気合を入れないと遊べない。


先日、日常の一コマの話ですが、昼の13時半に保育園児たちが先生に連れられて公園にやってきました。


先生に「時計の長い針が7のところまで遊んで良いですよ!」と声をかけられた子供たちは、いっせいにはしゃぎ出しました。

5分。5分のために、命を賭して全力で遊ぶ子どもたちを見て、感動してしまいました。

大人は、5分与えられたらどうするでしょうか。椅子にでも座ってゆっくりするんじゃないか。

「歳をとるにつれ、時間の流れがはやくなる」というのは、当然のことかもしれません。5分に対して全力にはなれないのですから。


ラストシーンが完成し、脚本がひとまず全て出揃いました。そのラストを重点的に練習しましたが、これまでで1番細かな演出がつけられた様に思います。

確かに極めて重要なシーンになっている様に感じられました。

色々マニアックな指示が出された俳優たちは、しかし今まででもっとも生き生きとしている様にも感じられました。


大人が全力で遊び始める瞬間が、演劇の一つの醍醐味と言えるかもしれません。
わたしも楽しかったので写真を撮りすぎてしまいました。


2021年11月23日火曜日

【そよ風ペダル】演じる脚本

 11月23日 14:00-16:00  現代劇場303


大阪、昨日はなかなかに雨が降りました。

今日から本格的に冬、といった感じ。暖房入れて、じっくり準備運動を行いました。


さていきなりですが、脚本は演じるために存在します。

ところが今回の脚本は、それ自体がある意味で「演じて」います。

というのも、各シーンが有名な映画を元ネタとして書かれているんです。


台詞をトレースしようとしているところもあれば、雰囲気を引き継いでいるだけのところもありますが、

「雰囲気を引き継ぐ」と、その元ネタの雰囲気がそのまま再現されるかというとそうはならない。

トレースや引き継ぎが上手くいっていないということではなく、「引き継ぐ」時点で表現の質がガラッと変わるのです。

観客は作品の背後に元ネタの存在を感じると、それだけでコミカルに感じたり、いっそう大きく感動したりします。


「演じる」という行為は、総じてそういうものかもしれません。

脚本という元ネタを演じる俳優たち。

今回の芝居は、まさに「演じる」ということに焦点が当てられているのかもしれない。

脚本が完成間近となり、いっそうその深みが顕れてきたように感じています。

2021年11月18日木曜日

【千年団】ドラマ、垣間見え

 11月16日 15:00-17:00   担当:渡辺

久しぶりに千年団の稽古場へ。

着実に出来上がってきている脚本の配役決定のため、何度かみんなで読み合わせをしました。


コロナ禍。ワクチンのこと、オリンピックのことなどについての、日常的な会話。から浮かび上がって来る人々の生。

まだ作品の全容は見えていないので俳優たちも(あるいは作者の小原さんも?)手探りですが、やりながら少しずつパーソナリティや人間関係が見え隠れし始めています。

決して大きな展開があるわけでは(少なくとも今のところ)ないのですが、この「だんだん明らかになっていく」感じそれ自体が非常にドラマチック。

配役も概ね決まって、そろそろ自主稽古なども始まります。はやく先が見たい。





2021年11月9日火曜日

【そよ風ペダル】声を出すと気持ちが良い

11月9日(火)14:00-16:00   そよ風ペダル 担当:渡辺

やや天気悪し。また肌寒くなってきました。

が、暖房は要らない程度に十分にストレッチ、をすることから稽古開始です。


本日練習したのは、たびたび感情を爆発させるところがあるシーン。

数名で同時に大笑い&大泣き&大嘆き。

気合いが入っているほど面白くなりますね、やはり。

毎度のことですが、1~2回読んで慣れてくると、格段に良くなってくる。

テンポのよさと爆発力に、何度か笑わされてしまった。

なんかみんな、いつもより楽しそうだったような?

単純に、声を出すと気分が上がってくるんでしょうかね。

公の場で声を出すのも躊躇われる、(二つの意味で)息苦しい昨今ですが、

なんとか、健康にのびのびできる空間を保っていきたいものです。

2021年11月2日火曜日

【そよ風ペダル】身体と音楽

 11月2日 14:00-16:00 そよ風ペダル 担当:渡辺健一郎


一気に寒くなった、と思いきや最近は秋晴れが続いています。洗濯物が乾いて良い、と思いきや

高槻付近では時折夜中ににわか雨が降ったりして注意が必要…


これまで使っていた台本に微修正が加わり、改めて本腰を入れた稽古が始まりました。

単に読み合わせしているだけのときより、体を動かしながら演じると、俳優のみんなの雰囲気もぐっと変わります。


あるいはまた、BGMの影響も大きいのだろうと思います。

舞台上に流れる音楽や効果音は、お客さんに対する演出であるのみならず、俳優の演技にもかなり大きく作用する。

リーダー筒井潤さんは音楽を重要視する人ですので、とりわけその作用が顕著な様に思います。


読んでいるだけの時にはわからなかった、細かいセリフの微妙な表情が、様々に浮かび上がってきました。

まだまだこれから、期待大。




2021年10月27日水曜日

【そよ風ペダル】理想の像、を超えゆく演技

 10月26日 14:00-16:00 そよ風ペダル 担当:渡辺健一郎

かなりディティールに注意を払いながら、読み合わせを進めていく作業が始まりました。


例えば親子の会話シーンをどう作っていくかということに際して。

実際に自分たちが親の立場として子供に接するとき、どういう風にしてきたか?という話をだいぶじっくり。

「親」という役割を確かに「演じて」きたという感覚が、人によってあったり、なかったり。

よその子と自分の子に対するのとで、対応=演技の仕方は違っていたか、どう違っていたか。

子どもに接するときに声色が


変わる(マザリーズと言うらしいです)ということはよくありますが、

この声色の出し方には、何かモデルがあるのか。あるいは、演じているのではなく本能的なものなのか?

私たちは日常的にも何かしらの「演技」をしていますから、舞台上の演技というのは、考え始めると本当に複雑怪奇…


いずれにせよ「親(の理想像)を演じている人」を真似しようとするのではなく、

「目の前にいる子供たちの親」を直接に演じることができるか。ここが一つのポイントになりそうだ、という話に落ち着きました。


理想とされる「像」のイメージが様々に蔓延してきた昨今、「してはいけないこと」「しない方が良い(無難)なこと」が増え、言動にしばりが増えてきた。

しかし「像」ばかりが一人歩きしていて、なぜそれが理想とされているのかといったことがあまり問われていないようにも思います。

「演技」によって、いかに形骸化した「像」を乗り越えていくか。そんなことについての、一つのチャレンジが行われています。



2021年10月19日火曜日

【そよ風ペダル】次の公演に向けて再始動!

10月19日(火)14:00-16:00 そよ風ペダル 担当:渡辺健一郎

9月のdracom公演を終え小休止していましたが、
今度は来年2月の公演に向けて稽古を再開しました。
本来は今年5月に上演予定だった演目が、コロナ禍でずっと延期になっていたのですが、
今度こそなんとかやれそうだという目算のもと、改めて動き始めました。
私も久しぶりに稽古に参加。

富田ふれあい文化センターの大ホール。
まずはのびのびじっくり1時間、からだを動かしました。
その後、シーンごとに区切って、全体の読み合わせ。

9月公演では、本編の一部を抜粋した短めのシーンを上演したのですが、
今度はボリューム3倍近くのフル・バージョン。
それぞれのキャラクターが深く描かれていて、やっぱりこっちの方が面白い。
かなり、戯曲の印象が変わっています。

戯曲の解釈やシーンのイメージを、作・演出家のリーダー筒井さんがみんなに伝えるのですが、
俳優たちはそれにただ従うばかりではなく、それぞれの中でふくらませて演技に投影していきます。
リーダーはあくまでリードする役目を担う人で、統率者ではない。
脚本を参加者全員で少しずつ確認しながら進んでいくこの感じがとても良い雰囲気です。



2021年9月15日水曜日

【そよ風ペダル】いよいよ、本番

 9月14日(火) 14:00-16:30 そよ風ペダル 担当:渡辺


今週末の本番に向けて、最後の大詰めです。
セリフや演出の最終確認のみならず、みんなでPCR検査の検体採取なども行いました。
(これが思った以上に大変な作業で悪戦苦闘、やはり様々に厄介ですねコロナ禍というのは!)

芝居全体を通して初めて観させてもらいました。
細かいシーンをいくつかつないでいく手法の芝居だとは言え、各シーンを流れの中に置いて見ると、やはり印象が大きく変わります。

恐らく、演じる方の気持ちもいつもと違ったことでしょう。
場面転換での動き方など、意識しなければならないことが増えますので、若干の困惑が見られたように思います。
いつもは稽古場が軽やかなそよ風ペダルも、本番前の緊張感に覆われていたように思います。ほんの少し。それがとっても良かった。

dracom「楽しみな世界」
https://askyoto.or.jp/e9/ticket/20210918
劇場でお待ちしております!

2021年9月8日水曜日

【千年団】言葉には出ない具体性


9月7日(火) 15:00-17:00 千年団 担当:広瀬


約1年ぶりに稽古を拝見しました。ウォーミングアップと台本稽古の合間の近況報告の時間にも、皆さんそれぞれに独特の間合いで各々の視点をハッキリと伝える力を持っていらっしゃって、面白いグループだと感じました。


前回から引き続いて飲食店の行列を舞台とした台本。台本稽古に入ってからも、終始穏やかな雰囲気でありながらスピーディに演技のアイデアが出てきて、しかもチームごとにきちんと違うアイデアで特色が出ていて、その瞬発力と個性力に驚きました。


台本稽古に入る前、チーフから「台本のままだと何の店か分からなくて不条理になってしまうので、チームごとに何の店か具体的に決めておいて下さい」との指示があり、稽古途中でも「店員役の人は去り際に何か、独り言か店内に一言掛けて去って下さい」と、もうワンアイデア追加。

これらの指示もあって、台詞としては何の店かは分からないものの、店員の立ち居振る舞いや行列客のリアクションで、何となく各チーム何屋さんかそれぞれ分かるようになっていて面白かったです。

2021年8月30日月曜日

【千年団】様々な機微

8月24日(火) 15:00-17:00 千年団 担当:渡辺

久しぶりに千年団にお邪魔しました。本番を近くに控えているそよ風ペダルとは異なり、ゆっくり、じっくり創作の足場を固めているといったような稽古でした。
本番前の緊張感のある稽古場とはまた違った豊かな時間が流れていると感じられました。

A4一枚表裏、台詞が書かれた紙が配られました。
どうやら誰か一人を待ちながら、何かの飲食店に並んでいる二人の会話。
二人ずつのグループに分かれて、練習&発表。

二人の関係や、誰を待っているのか、何に並んでいるのかといったことは、言葉の機微からそれぞれのグループが各々に読み取る。
一体みんなが、どういった機微を読み取るのか。それをどの様に演じるのか。

話の筋がどうこう、といった以上に、機微を扱うその手つき、あるいは「機微を扱う」ということそれ自体に面白さを覚えます。
稽古終わりに、チーフ小原さんが「演劇は楽しいね」とポツリと言いました。
そう思います。

2021年8月23日月曜日

【そよ風ペダル】感情表現、内から、外から?

 8月17日(火) 14:00-16:00 そよ風ペダル 担当:渡辺

最近、すごい雨が続いています。少し涼しいのは有り難いけど洗濯物はどうしようもない。

いずせにせよ稽古は軽快に進んでいきます。今回は感情を表に出すシーンの練習でした。

「感情」の表現、それは「内」から?「外」から?

自分の内側に確かな感情が生じていれば、自然とその表現ができるんだ、という「内」派もいます。

他方、怒りなら怒りの<形>に沿って演じれば、感情は伝わるんだ、という「外」派もいます。

…が、内も外も大事だ、というのが実際のところでしょう。観客の前に立つという限りで、純粋な「内」など作れるはずもありません。会話の流れを受けて、多少とも自らを高揚させなければ、すなわち「外」だけでは腰の入った演技はできないでしょう。

(身も蓋もないことを言っているようですが、これは600年ほど前から世阿弥が書いていたことで、今あらためてその意味を噛み締めているところです。)

今回の芝居は感情を過剰に、コミカルに表現するため、「外」重視にはなっていますが、稽古を重ねるたびに、俳優たちの内側から気合が入っていくのがわかりました。これは一体どいうことなんだろう。

演技をめぐる様々な謎と戯れるーー演劇の一つの醍醐味のような気がしています。

2021年8月20日金曜日

【そよ風ペダル】想像力



8月3日(火) 14:00-16:00 そよ風ペダル 担当:渡辺


そよ風ペダルの稽古場には何度か足を運びましたが、今回のシーンの稽古には初めて居合わせました。

何か煮え切らないテンポで会話が進んでいるな、と思っていたら、そういう演出がついていました。
LINE通話やオンライン会議を経験したことがある人ならわかると思いますが、コミュニケーションにラグが発生している、といったようなシーン。


おそらく、思っている以上に難しい演技だったと思います。
同じ空間を共有して、実際には相手の声が聞こえてしまっているにも関わらず、
「まだ聞こえていないかのような演技」をしなければならない。

感覚(見たり、聞いたり)していないものをあたかも感覚しているかのように演じるということはよくありますが
感覚しているものをあたかも感覚していないかのように振る舞うのは、それ以上に大変です。

でも何も知らない私も、会話の違和感をすぐ感じ取りましたので、かなり上手く演じられていました。
稽古中にも如実にレベルアップしているのを感じたので、本番が楽しみです。

2021年8月17日火曜日

スピートを変えて演じる

8月17日 千年団 担当:丸木


まずは、発声。

それから皆さんの最近の出来事についてのお話。

その後、2人のペアになって「長谷川書店」という本を演じはりました。


シャッターがおりた店を覗いてる、二人というシチュエーションは全く同じですが、

演じる人によって、二人の関係性、設定なども色々違うものでした。


動くスピードを変えて演じてみて欲しいというのが小原さんのオーダーでしたが、

中々それを意識して演技するというのは困難がありそうでした。


2021年8月10日火曜日

【そよ風ペダル】間         について

  7月27日(火) 14:00-16:00 そよ風ペダル 担当:渡辺

これまでの稽古で、一通り各シーンにふれることができましたので、今回からは振り返りです。まだみんな台本は手に持っていますが、少しずつ台詞は入ってきた様子。
こころなしか演技に余裕が出てきたように見えました。

少しずつ、リーダーの指示もマニアックになってきました。演劇は、自らの演技にばかり執心している訳にはいかず、見せ方や全体の構成も考えなければならない。
とりわけリーダーの筒井潤さんは音楽の要素をとても大事にする人ですので、音楽との関連での指示が多く飛びました。
「もうちょっと曲を聴かせたい(ので、次の台詞はもう少し間を空けて喋ってほしい)」といったような。

音楽をやっている人だと、休符の重要性はかなり意識していると思います。
演劇でも同様に、間はかなりのを持ちます。象徴的な台詞を言う前にかなりの間をとることで、その台詞の価値の高さが伝わったりする。
どうしても間を埋めたくなる、次の台詞を言いたくなる、そんな気持ちをぐっとこらえて、
いかにカッコよく見せるか、今回の稽古ではそんなことを重点的に行いました。

リーダーから「良いシーンになりましたね」という言葉が何度か聞かれました。
まさにそう思います。良いシーンだと思える瞬間が増えてきました。
まだ一ヶ月ありますので、これから、まだまだ。

2021年8月1日日曜日

【そよ風ペダル】感情、感情

 7月20日(火) 14:00-16:00 そよ風ペダル 担当:渡辺

暑い日が続きます。今日の最高気温35度。
本当に倒れそうになるくらいの暑さ…マスクも相当しんどいですね。

今回は、いわゆる「喜怒哀楽」をかなり前面に押し出すようなシーンを練習しました。
一口に喜怒哀楽と言っても、感情を強調するのはそう簡単なことではありません。

おそらくシーンの意図は「わかりやすく」ということなのですが、さてどうすれば良いか。


リーダーの支持の出し方が印象的でした。例えば〈怒り〉に関しては
「まるで、神様に向かって『返してー!』って言うように」といったような。感情を喚起しやすいイメージからアプローチしていくような。

だんだん台詞を覚えてきて余裕が出てきたら、また演技の質も変わっていくような気がします。

2021年7月17日土曜日

【そよ風ペダル】「稽古」 ーー型を身につけること

7月13日(火) 14:00-16:00 そよ風ペダル 担当:渡辺

今回は月に1回の、富田ふれあい文化センターでの稽古です。高槻市民であれば、このホールが無料で使える。すごい。あとクマがかわいい。

日本語では演劇の練習のことをしばしば「稽古」と呼びますが稽古とは、古(いにしえ)を稽(かんがえ)るということで、そこでは古きに学び、型を習得することが目指されています。参考:西平直『稽古の思想』)

ただ、例えば「稽古」を重んじた最初の芸術家である世阿弥などは、型の習得が最終目標だとは決して言いません。むしろ、本当に型が身についた後に、そこからの遊離が生じる。大事なのはその瞬間だと。

前回、そよ風ペダルはリーダーが上から押し付けない稽古スタイルだと書きました。
今回は一転、なかなかハードなアクションシーンの型がリーダーから提示されました。その通りにとにかく反復する。
(この集団は方法論を一つに定めることなく、状況、シーンに応じて最適な手段をその都度選択している…のかもしれない。)
みんな悪戦苦闘していました。型の習得は達成されるのか、遊離の瞬間は垣間見られるのか!見ものです!

2021年7月13日火曜日

【そよ風ペダル】軽やかさは、細部から

7月10日(火) 14:00-16:00 そよ風ペダル 担当:渡辺


今回初めて、そよ風ペダルの稽古場管理を任されました。渡辺です。
6月の緊急事態宣言があけて以降は、リーダー筒井潤さんの主催する演劇公演「楽しみな世界」
http://dracom-pag.org/?page_id=3058
に向けた稽古が行われています。

そよ風ペダルはこれまで2回ほど公演を観たことがあるのですが、
いずれも「軽やかな」印象をいだいていました。すなわち、いわゆる重厚な演劇、演技とはとても遠い感じ。
しかしながらそれでいて雲散霧消してしまうのではない、確かに何か、生命力を喚起するようなその感じ。

どんな稽古が行われているのだろうと興味津々だったのですが、
予想に反して?かなり細かな創作プロセスを踏んでいるように感じました。
例えば立ち位置、例えば人物の心情、例えば台詞のリズムについて、云々。

ただしリーダーが厳密に規定するのは立ち位置
までで、心情やリズムなど、すなわち「演技」に関わる部分は、「こういうことを意識すると良いかもしれない」、「あまりこだわるところじゃないかもしれないんだけど」等と、常に留保をつけながらじっくり進めていました。

こだわり”うる”ポイントは例えばこういう点にあるのではないか…という、演技を試行錯誤する上での手がかり足がかりが、その都度稽古場に置かれていく。俳優たちは各々に咀嚼して、実践していく。
そして置かれた言葉を起点にして、俳優たちの集中力が確かに感じられる。

「演出家がイメージを統括する」のではなく、
言うなれば「言葉によって、集中力の支点をいくつか立ち上っていく」ようなプロセス?

自分で書いていて、まだよく分かっていません。
謎めいた部分の多いと感じられるこの座組、まだまだ追っかけ甲斐がありそうです。

2021年7月6日火曜日

見えない水

 7月6日 千年団 担当:飯坂

7月に入り、参加メンバーが増えました!
まずは軽く体操、発声をして、近況を報告しました。
千年団はこういうところからお話が生まれたりしますので、いつもワクワクします。
コロナが関係あったり、なかったり。いろいろなお話が出てきました。

そのあとは3グループに分かれて、短いテキストを読みます。
千年団ももう3年目に入りました。それぞれのグループで活発に意見を交わして創作していくのがスムーズになってきました。

ホースで水をまくシーンがあります。舞台上で実際に水を使うのはとても難しい、、というより、面倒くさいです。
音響の効果や、俳優の身体で、観客に水を想像されることが出来れば良いね、と。
演じる人の身体によって、水の量や、冷たさが変わるのがおもしろかったです。

ドラマ性は「ドラマチック」でないところに、?

  6月29日(火) 15:00-17:00 千年団 担当:渡辺


今回は新たにA4一枚裏表、二人の会話台本が配られました。
(これが一体何なのか、そういえばイマイチ分かっていない。単なる練習用なのか、作品に結実していくのか…)
大家夫婦の何気ない会話、しかしなんらか何か、背後に謎が見え隠れする会話。

すべての台詞に意味を与えて発話しなくて良い、というチーフ小原さんの指摘が印象的でした。さらっと流すところは流して良い。

なるほど演劇は、常にそういった意味と無意味の間を扱っているようにも思います。

コロナ禍で生活の多くがオンライン化してしまっている私などは、何かそういう「あわい」、機微、あるいはー…幽玄?のようなものへの感性が衰えてきてしまっているように思います。
(参加者奇数のため私も発表に参加しましたが、全く手応えがなかった!)

少しずつ、取り戻していきたいところです、色々、。

2021年6月30日水曜日

千年団、稽古再開――いきなり厄介な

 6月22日(火) 15:00-17:00 千年団 担当:渡辺


緊急事態宣言を終えて実に2か月ぶりに、再び高槻現代劇場に集まることができました。
人数は少なかったですが、軽めに身体と頭を動かしました。
発声練習も普段より控えめに。

これから数回かけて、東京五輪の話をしていこう、ということになりました。
五輪が開催されるだろうことについて、みんなはどういう風に考えているのか?云々。
2人グループに分かれて、1人が話し手になります。
もう1人は聞き手として質問をしながら、相手の喋った内容や身振り手振りなどを仔細に観察し、メモ。
その後聞き手は、メモをもとに「話し手役」を演じて(なるべくトレースして)発表することが課されました。

発表は「話し手役」一人でおこないますが、チーフ小原さんは
「質問されている時、質問を聞いている時の<間>も演じてほしい」と強調します。
喋っている時の内容など以上に、相手の声に耳を傾けている時の雰囲気こそ重要だと。

映画などを1.25~1.5倍速程度で視聴する人が増えてきた、と最近よく耳にします。
内容さえ追えればそれでOK、としないために、演劇ができることを。顔を突き合わせて。やっている。
そんな具合でした。





2021年6月29日火曜日

そう見せたいという意識

6月29日 そよ風ペダル 担当:飯坂

いまは、「ニュー・ピクニック・タイム」の一部抜粋版を稽古しています。
改めて、子どもや母親など、自分と遠い存在を演じるときの感覚を再認識しました。
子供を演じようとすると、例えば声が高くなったり、おどけた顔をしてみたり、「子どもに見えるように」という意識が働きます。
小さい子どもがいる母親を演じると、子供に向かって話しかけるという意識が強くなりめす。

でも今回はそういうことはせず、むしろそのまま喋った方がよいのではないか、と。
そうすると、そのうち自然に子どもに見えてくるんですよね。
むしろ、「子どもに見えるように」という意識が邪魔になったりします。

今回は皆さんいろんな役を演じますが、「その役に見えるように」という意識を持たず、全力で演じる、というところにフォーカスしていきます。

2021年6月28日月曜日

そよ風ペダル、稽古を開始いたしました!

 6月22日 そよ風ペダル 担当:飯坂

そよ風ペダルはしばらくお休みしておりましたが、22日より再び動き出しました!
「ニュー・ピクニック・タイム」は延期となりましたが、しばらくはまた別の公演の稽古をします。
別、といいましても、やることは「ニュー・ピクニック・タイム」の一部抜粋版です。
それがどういうことなのか、、、情報公開を楽しみにお待ちください!!

ともかく今日は久しぶりにみんなで顔を合わせました。
皆さんお元気そうで、とても安心いたしました。

感染対策を十分に行いながら、稽古を進めてまいります。
皆さま、お楽しみにお待ちください。

2021年4月21日水曜日

台本を「読む」?

 4月20日(火) 15:00-17:00 千年団 担当:渡辺


チーフ小原さんより、今年度最初の台本が配られました。
名前は書いていないAとBの、何気ない会話のシーン。
A4裏表の短いシーン。しかしその背後に人間関係やいざこざを感じざるを得ない微妙なシーン。

一応小原さんはこの二人がどういう関係にあり、どういう場所で、どういう意味で喋っているのか、決めて書いているようでしたが、正解は必ずしも重要ではないというスタンスを貫いていました。
脚本家の意図から外れたところに演技の妙がありますね。

二人組のペアになって、皆あーでもないこーでもないと台詞の意味や発話の仕方について考えます。

演技について試行錯誤する際、台詞を一つだけ抜き出して練習してもあまり成果は出ない。
特に最初の内は、二人がどういう関係にあるのか、前の台詞から話題の転換を図るときにどういう「(行)間」が必要か、全体の流れや構造を考える必要がありそうです。
各ペア2回ずつ発表の機会がありましたが、二回目は明らかに深みが増していました。凄い。

台詞の中に「ドエル」の「ミルフィーユ」が出てきて、何度もその台詞を聞いてしまったので、どうにも今日の帰りはドエルに寄ることになりそうです。

2021年4月14日水曜日

不/自由を考える、自分の内と外で

 4月13日(火) 15:00-17:00 千年団 担当:渡辺

千年団の稽古場担当をして二週目です。今回もまた大いに困った。
困惑する時間が面白いですね、やはり演劇は!

本日の課題は、「自分だけが不自由だと感じていることについて」。
三人1チームに別れ、一人がこのテーマで、1分喋る。
一人はそれをしっかり見て、話の内容や身振り手振りを完全コピーして反復する。
もう一人はそのコピーされたものを見て、もう少しこうした方が…などとコメントをする。
という取り組みです。

まずお題が厄介でした。「自分だけ」が「不自由」と「感じる」?
不自由をどういうものとして考えるか。そして、それは「自分だけ」の問題なのかどうか。
実際に取り組んでみると、よく分からなくなってくる(小原さん曰く、そこがミソなのだそうで)。
それでもどうにか語らなければならない。

さらに厄介なのは、やはりそれをコピーするということ。
普段の自分から離れて、他人の言葉遣いや身体の使い方に身を委ねるという作業は、
自分が自分という枠にどれだけ囚われているのかを明かしてくれました。
他人との差異に焦点をあてることで、自分のことが分かってくる。
もちろん、他人のことも分かってくる。

私はまだ二回目の参加ですが、ただ会話をするだけよりも、
参加者のパーソナリティがよく分かってきた…ような気がします。

2021年4月9日金曜日

「稽古場」というscene(場面、舞台)の即興/上演

4月6日 千年団 担当:渡辺

今年度からシニア劇団の稽古場にお邪魔することになった渡辺と申します。
初日から色々な場面に居合わせました。面白かった。困った。

前半はウォーミングアップ。
2月の公演以降、初めての集まりだったので、こわばった心と身体をほぐすところから。
発声・活舌の後、シアターゲームを少々。
参加者の一人が他の演劇ワークショップに参加してゲームを仕入れてきた様なので、
当人に説明してもらって、みんなでチャレンジ。
このゲームはどういうところが面白いのか、みんなで吟味しながらじっくり実践。

後半は2月の公演の振り返り。
3人ずつのチームに分かれて話し合い(人数合わせのため、私も飛び入り参加)、のち発表。
普通に発表してもつまらないということで、チームの中の2人が、もう1人の言っていたことを
「噂話」のように説明する、というような発表形式が講師より考案されました。
「〇〇さんな、あの公演の時××だったらしいで?」といった具合に。即興で。
急な提案に「えー!?」という声も上がりましたが、1~2年の間小原さんのもとで鍛えられた参加者たちは、
苦戦することなく意気揚々とこなしていました。

講師の小原さんの立ち居振る舞いからは、まさに「シーンをつくる人」といった印象を受けます。
考えてきたことを皆にやってもらう、のではなく、まず集まった人間たちが今どういう状態なのかを見極めて、
今何をしたら面白いのか、どうすると活発なコミュニケーションが交わされるのか。
その場その場で考えていくという稽古場スタイルでした。
とはいえ決して「行き当たりばったり」という訳ではなく、当日のメンバーの様子をじっくり観察したり、
初対面の私の存在も加味したりして、濃密な場を構成していたように思います。

先導する講師と、それにのっていく参加者たちとの、強力な信頼関係を感じられた2時間となりました。
実作に入ったらどういう動きが生まれるんだろう。今から楽しみです。

2021年3月16日火曜日

名作と自由と

 2021年3月16日 担当:梶川


公演稽古を進めています。

お話の内容に触れずにブログを書くのがなかなか難しいのですが。

個人的には久しぶりのそよ風ペダルの稽古場に来て、作品がここまでできあがってきた創作過程を把握していません。

あえて脚本も読まず初見で作品に触れてみました。

つまりは私が最初のお客様視点で作品を見たことになります。

今日は作品の5分の1程度を繰り返し稽古しました。

これはよくわからんとなって、手早く足りない情報が書かれているシーンの脚本を読んで理解しました。

全容が立ち上がった時に出てきた言葉は「グローバル化で失ったもの」ということでした。

有名作品のパロディということはすでにブログで書かれています。

有名作品、つまりは名作ということに引っかかりを覚えました。

名曲という事でもいいんですけど、だんだんと有名になることが難しくなっているのではないか。

例えば誰でも知っている名作や、その時代にみんなが歌えた名曲と言うのが生まれにくくなっている気がします。

有名なものというのは、そのことを好悪は別にしても多くの人が知っているといこと。

価値観を分解すると正義と美意識であると、有名であるということは正しさと美しさに支えられていました。

「なぜ人を殺してはいけないのか」ということに、正しい答えを用意できなくなりました。

美しに至っては語れることがありません。

美術について、商業ベースでつくられるものに技術として優位にたてなくなりつつあり、作品そのものよりも解釈した上での説明や創作のうえでの物語が必要になっているという話を聞いたことがあります。

美術というフレーム、垣根が合間になっている。

いろんなことの垣根が曖昧になる、つまりグローバルとは越境することですから。




多様性、自由、主体性ということが大切だと私自身がこれまで思っていました。

最近、果たしてそうだろうかと感じています。

孤独は自由の裏返しではないかと、ある日気付いてしまいました。

自由になりたいと人との関わりを希薄にした結果の孤独。

なので孤独までは私の中で許容できます。

自分で選んだのだから。

寂しさを感じても自由の代償です、甘んじて受け入れましょう、もしくは誤魔化しましょう。

問題は自分で選んでいないのに1人になってしまう事。

これを最近は孤絶というのでしょう。

話はそれますが、貧乏と貧困も同じように違うと考えています。

貧乏は自分でどうにかできる程度での話ではないかと。

貧困はもはや自分でけのことではどうしょうもない状況。

戦後すぐを生きた人にインタビューをしたことがあって。

ものはなかったけど貧乏だとは感じなかったと。

だってみんな物がないんだもの、言ってしまえばみんな貧乏と。

自分で決断して進めるならば問題ないではないか。

ここで「自己責任」というキーワードが浮かび上がります。

責任をとるってどういう事だろう、果たしてそんなことは可能なんだろうか。


生きづらい世の中だと感じます。

それは自由になれないからだろうと思っていましたが、もしかすると反対かもしれません。

自由ゆえに自分で責任をとらなければならないというプレッシャーやストレスが生きづらくさせている原因ではないか。

だからといって一度手にした自由を手放すことができるのかしら。

やはり周りと考えが違っても譲れない信念をもちたいと思ってしまう。

原始時代から群れで生活することが当たり前だったわけで、独居生活の実現はここ数十年のこと。

身体的にも心理的にも対応できていないのでしょう。

私はまだまだ自由を持て余しています。



長々とすいません。

作品の話と言うよりも、私が最近考えている事をつらつらまとまりなく書きなぐってしまいました。

でも作品に刺激されて出てきた言葉たちです。

みんなで歌える名曲や語り合える名作を創りにくくなっている。

そこには「自由」ということをどう扱うかということに関わっていて。

そのうえで名作をパロディにして真面目に演じることにどんな意味を見出すのか。

そして名曲や名作を知るシニア世代であるそよ風ペダルがこの作品を演じるということ。

本当に楽しみな作品です。