2014年9月15日月曜日

物事の一番大事な部分。

9月9日 恍惚一座

本番に向けての稽古が進んでいます。
劇団員だけの自主練習もおこなわれており、
そこから新たなアイデアが生まれ
山口さんに提案されるといったこともおこっています。

シーンを創作していて、果たして見ている人に伝わるのかという疑問が起こっているようです。
わかりやすくするためにこうした方がというアイデアもあります。
しかし、ひとまず立ち止まって落ち着いて考えてみるならば
役者が脚本を読んで、もしくは演じていてわかっている事ならば
見ている側にだって伝わります。

そしてわかりやすさと作品の面白さとは
直結するわけではないというところが難しいところで。
例えばミステリー小説で、トリックや犯人や動機が最初から全部わかっていたとして
それは面白いでしょうか?読者は読みたいと思うでしょうか?
例外もあります。
全部わかっているが、探偵役と犯人役の関係や駆け引きでみせていくということもあります。
そこにおいても、この駆け引きの推移がわからないこととして残っています。

わからないことが何のためにあるのかというと
見ている側の好奇心への刺激と
答えを発見する喜びのためにあります。
これが作品の面白さに繋がっていくのでしょう。

役者に求められることは、いかに隠していくか
秘密を増やしていくかということではないかと思います。
お笑いやマジックでネタという言葉が使われます。
もとはタネ(種)からきていて、逆読みしているわけですが
「物事の一番大事な部分」という意味だそうです。
一番大事な部分というのは往々にして隠されています。
ネタばらしという言葉もありますが
本当はばらされることなく楽しむものなのかもしれません。
演じ手と観客の間でネタがばれるかばれないかという駆け引きをしているわけです。
しかしわかりにくくし過ぎると、それがネタだということにさえも気づいてもらえないという。
それは山口さんが演出していくとして。

わかりにくい作品を作っているわけではありません。
ネタの豊富な作品を作っています。
カヌー・ラジオ、ご期待ください。