8月20日 恍惚一座
みなさん頑張ってセリフを覚えようとしています。
脚本をはずしてセリフをしゃべろうと必死です。
しかし、セリフを思い出すことに一生懸命になりすぎると
役柄がその場にいて会話をしているという感じがなくなります。
演技でなくセリフの当てっこになってしまう。
稽古場では一人一人のセリフが言えるかではなく
相手役の演技をどう受けるか、
全体の流れをどう作っていくかが重要になります。
つまりはそれが演技すること。
何を見せるかを明確にする試みにおいては
脚本を持っているかどうかは、さして問題ではありません。
もしかすると公演の本番でさえ、
セリフを覚えているかどうかは問題ではないのかもしれません。
見ている側はセリフを正しく言っているかどうかを楽しんでいるのではなく
もっとほかの所を見て(感じて)楽しんでいます。
脚本を持っての稽古になります。
セリフではない他の部分への創作になり
役者さんへの演出の深度が掘りさがったように感じました。