2018年5月4日金曜日

作品の本質

2018年5月1日 そよ風ペダル 担当:梶川


前回で脚本が完成しました。
今日は通し稽古をします。
まだキャスティングが決まっていないので、もちろん脚本を持ちながらになります。
上演時間を知りたいということもあるので、間はしっかり取るとして、来週にはキャスティング発表ということで、どちらかというとそのことを重視して稽古は見られていきます。
落ち着いて全編を見るわけですが、今回は独特の間合いがあります。
これまでは日常のやりとりを希求して作品に仕立てていたように思います。
なんだか今回はどれだけ日常のやり取りのように見えつつ、でも違和感を感じるように仕向ける。
それは作品の本質にも繋がっていくような気がします。
真実とは何か。
なんだか哲学のようですが、そこは演劇ですから軽やかにユーモアを交えて描くとして。
例えばプラトンが描く対話による作品は知識人が実は何も知ってはいないということを滑稽に描き出します。
無知の知と言うやつですが。
今回の作品ではわからないことがたくさんあります。
なぜなら情報や説明が現れてこないからです。
そこにはただ結果や目的だけがあるだけですから。
世の中には情報が溢れていて、それらは原因を伝えてきます。
しかしその原因であれ根拠であれ、突き詰めれば本当にそうなのかはわかりません。
真実らしいこと、自分にとって信じられる確かさ。
もはや真実は発見するものではなく作り出すものになります。
わからないことがあるとき、そのわからなさとどう付き合っていくか。
例えば今回の作品での創作の仕方も鑑賞の仕方もこれに尽きるように思います。
日常のようでそこに何かありそうな、でもそれはよくわからない。
ただユーモアだけはよく伝わる。
そんな作品に仕上がればいいのではないでしょうか。