11月19日 恍惚一座
前回公演についての話し合いやアンケートなどからの反省で
基礎稽古の中で発声をしなければならないということがありました。
というわけで、早速本日から発声稽古が始まります。
ずっと前にやったことがありますが、天使が飛んだりゴリラになったり猫になったり。
無理をせず楽しんでお腹から声を出す発声法になります。
動きがコミカルなので最初はやるのが恥ずかしいのですが、
だんだん慣れてくるとそれもなくなります。
舞台に立つ時に羞恥心というのはネックになってきますが、
図らずもそれを乗り越えることにも効果があるのかもしれません。
本日は稽古場に次回公演の脚本を書いてくれる方が来られました。
前回の公演のことも振り返りつつ次回の作品をどうしたいかを話し合いです。
恍惚一座のこだわりとして、笑いを生むということが重要になっているようです。
実はそれが一番難しいのですが。
どんな役柄がきてもチャレンジしようという意気込みをみんなで再確認して。
なんたって初めてで怪獣になったり中学生になったりしていますから。
映像作品だと、年相応であることや、性別が役柄と同じことが重要になりますが
舞台演劇はそうでなくても成立させることができますし、だからこそ面白かったりします。
さて、次回作はどんな作品になるのでしょう、楽しみです。
次回作に向けてインプロをもとにした基礎稽古を進めます。
今日は二人で何かしら会話をしていて、
手拍子をきっかけにして日本語から意味不明なよくわからない言語に切り替えて会話を続ける。
もう一度手拍子が来たら、また日本語に戻ります。
よくわからない言語は外国語っぽい感じになるのですが。
見ていて面白かったのが外国語っぽいのになった瞬間に手が動き始める。
当初ジェスチャーであって、それは言葉としての記号が奪われるので代わりに手が記号として使われていることから始まりました。
しかし回を重ねることに手の動きが記号としてでなく外国人が喋ってる時に自然と出てくる仕草に近いものになっているような。
まあ、日本人は普段の会話でそんなに喋りながら動かないので
手拍子の瞬間に仕草が増えることには違和感があるのですが。
例えば舞台においては表現として、普段の動きを少し強調することはあるかもしれません。
逆に日本語をしゃべっている時に外国人のような仕草が入るとどうなるか。
なんにせよ記号に見える動きと、自然に見える仕草のような動きの差がどこにあるのか。
見ていてとても興味深かったです。