2024年2月27日火曜日

【千年団】ストレートな演劇創作

2024220日(木)

富田ふれあい文化センター プレイルーム

担当:岡田


本番にむけて今日も稽古です。

個々のシーンを細かく詰めていくというよりは、大きな流れを全員で掴みながら、動きの確認をしている段階です。


とはいっても、さすが「千年団」。

俳優技術を身につけた方々が多いので、現段階でも登場人物間での関係性が現れ、ドラマが生まれている部分も見受けられます。


講師の小原さんは戯曲上必要とされる演技を役者にしっかり要求しますし、役者はそれに答えるように質の高い演技を模索し、言われずとも自ら考えて動きや読みを作っていきます。


前回の公演『みんなでチェーホフ』でもそうでしたが、千年団はストレートに演劇を作っていく劇団だと今回の稽古からも感じます。


今後あと4ヶ月ほどの稽古期間で、どれだけ質の部分を高めていけるのか、今から楽しみですね。




2024年2月20日火曜日

【千年団】小気味のよいテンポを目指して

 2025/2/20(火)15:00-17:00

富田ふれあい文化センター 教養・文化室

担当:岡田


半年ぶり?くらいに千年団の稽古場に伺いました、岡田です。

6月の公演に向けて今日も稽古でした。


完成している台本を、俳優が動きながら読み、作品を立ち上げていきます。

稽古の様子を見ていると、台本を1人家で黙読していては体験できないようなことがたくさん起こります。

一つのセリフでも、アクセントやニュアンスを変えると全く違う表情を見せます。


これからの稽古でセリフのやりとりが洗練されて、小気味のよいテンポが現れてくると、見ている側も話の筋を掴みやすくなり、物語に入っていきやすくなりそうですね。

もうすでに自主練習も始まっており、今後の仕上がりが楽しみです。



ちなみに、今回の台本では、大阪のローカルな地名が登場します。

実際にその場所に行ったことがない方も多いので、「今度稽古前にみんなで立ち寄ってみようか?」という話がされていました。

俳優が情景をリアルに思い浮かべながら演じると、演技に深みが生まれそうですね!

2024年2月14日水曜日

【そよ風ペダル】ちょこざいな!

 2024/2/13 14:00-16:00 富田ふれあい文化センター 小ホール 担当:渡辺

タイトルは脚本に登場するセリフの一つ。
小気味良く、使い勝手も良いので稽古中に時折みんなで使っていました。

「小気味良さ」というのが、今回の芝居の一つの鍵になるのかもしれないな、と思って見ていました。
実際に脚本を用いた稽古の開始当初から、全体的に「ダンディ」な演技を目指しているわけですが、ダンディズムを成立させるための一つの条件が小気味良さになっている…かもしれない。
余裕を見せるという、飄々としたスタイリッシュさ。

先日個人的に、よく演劇の稽古に用いられる「ステータス」について詳しく論じられている本を個人的に読んでいました(キース・ジョンストン『インプロ』)。
「ステータス」というのは、ステータス=階級の高いor低い役(例えば部長、課長、平社員、の様な)が与えられ、それに即して即興で演技をするエチュードです。
そこで「ステータスの高い人は目線や体勢を頻繁に変えてはならない、逆にステータスの低い人はキョロキョロしたり落ち着かない様子を示すと良い」という記述があったのですが、これはなるほどと思いました。
位の高い人は、動作にも余裕を持ってどっしり構えていなければならない。本の著者は、演技というのは全てこの「ステータス」の応用で考えることができる、とまで書いていました。

ダンディさというのは、実際の位の高い低いに関わらず、「あたかも高いかのように振る舞う」ことだと言えるかもしれません。いずれにしてもやはり、ダンディであるためにはアタフタしてはいけない。

「生意気だ」などという罵倒の言葉よりも、「猪口才な」の方が、余裕のある感じがして良いのは…何でだろう。音の響きの可愛さとかも関係しているの…か…?




2024年2月1日木曜日

【そよ風ペダル】未定の決定

 2024/1/30 14:00-16:00 富田ふれあい文化センター 小ホール 担当:渡辺

「戯曲」というとふつう、喋るべきセリフの全てが書かれたもの、と思われるかもしれませんが、
しかし「戯曲にどこまで書いてあるか(書いていないか)」は、時代や地域、書き手によって大きく異なります。

例えばト書きに、「男1、何かをぶつくさ言いながら退場」などと書かれていた場合。
やるべきことは決まっていますが、何を言うかはもちろん俳優や演出家の手に委ねられている。
もっと大雑把な指示が与えられる場合もあるでしょう。「二人はしばらくの間口論する」とか。

「やるべきことは決められているけど、どのようにやるかはある程度プレイヤー次第」という意味では、ふつうにセリフの書かれた戯曲でも同じことです。
言うべきセリフはあっても、どの様な間で、音量で、イントネーションで、リズムで読むのかは定められていない。
全ての戯曲は俳優たちの動きを「ある程度」指示しますが、その「ある程度」の範囲をどうするか、ということについてはそれぞれの戯曲によって大きく異なるわけです。
一言一句セリフを決めるのか、「間を0.5秒空ける」みたいなことまで細かく指示するのか、大雑把なストーリーだけ設定されていてほとんど即興でやらなければいけないのか。などなど。

今練習しているのは前回に引き続き、「セリフは一応決まっているけど、大筋さえ外さなければ厳密に従わなくて良い」というシーンです。
これがなかなか絶妙、巧妙な仕掛けで、みんな漠然と覚えたセリフを、なんとか思い出しながら、互いに「次はあなたのターン(セリフを言う番)ですよ」と促したりしながら、半分即興のように作られていきます。舞台上での悪戦苦闘(あるいは自覚的なすっとぼけ)が大変面白い。今回も大いに笑ってしまいました。