2020年9月23日水曜日

三つの宝

922日 そよ風ペダル 担当 土井


本日も現代劇場和室での稽古です。静かですが十分なストレッチで、縮んでいた筋肉が柔らかくなりました。

先週まで抜けていた「女中たち」の7071ページを頂きました。ここ数日この戯曲を何軒かの書店で探したのですが手に入らなかったのです。

NHKBSで風姿花伝プロデュースの「女中たち」を観たところなのでちょっとワクワクして来ましたが、今日は別の戯曲を稽古する事になりました。


芥川龍之介「三つの宝」です。

今回の課題は

「オーバーな芝居で熱演してみよう」と。

まず9ページ3幕全部を読み合わせした後、配役を変えて1幕ずつ立ち稽古です。

立ち稽古の1回目は淡々と流し、2回目で「熱演」です。

演ってみて自ずと役に同化していく感じはいつからだったでしょうか?

観る方も熱演を感じたのはいつですか?


「王子が来て舞台の空気が変わり物語が動き出す頃から変わった」という意見が多かったようです。

盗人達は三つの宝を本物と思っていたのかどうか?と解釈が割れましたが、あの冒頭のト書きは嘘(間違い)ではないか?という先生の言葉で納得できました。


2幕、酒場です。酔っ払いの戯事とシリアスにならないようにと。


今回は「やっていて楽しかった」

「見ていても楽しい」という意見が多かったです。

「女中たち」と比べ役を作りやすいのは、典型的な役どころなので、舞台に居やすいからでしょうか。

しかし、典型とは別のリアリティ、「いやらしい面」とか「意地悪」とか身近に感じられる人間の感情が、典型的な役どころの中にも発見されると、グッと芝居をしていても、観ていても面白くなることを発見しました。






2020年9月18日金曜日

「女中たち」の演じ方を共有する。

 9月13日 そよ風ペダル 担当:梶川


ジャンジュネの「女中たち」を使って稽古したいます。

脚本が始まる前段階でジャンジュネによって「女中たち」の演じ方という文章が書かれており、そこには細かな舞台の設えや演技についての指示が書かれています。

今日はこの部分を筒井さんが読み上げて、全員で情報を共有します。

少し難解に感じます。

難解なわけですが、みなさん分からないというところで終わらず探求を試みています。

なんと頼もしい状況だろうと。

ここに書かれている演じ方を意識したりしなかったりで読み合わせをしました。

筒井さんから男性陣に対して女性役を演じてみてどうですかという質問がありました。

稽古後にジャンジュネについて少し調べて、ここには意図があったのかもしれないと感じつつ。

簡単にジャンジュネのプロフィールとして、私生児として生まれ、生後七ヶ月の時に捨てられました。

その後、犯罪を繰り返し、ついに終身刑を宣告されたのですが、文学的な才能を見出したコクトーやサルトルの請願により、世に出てきて独特な作品を書きました。

ジャンジュネと言う人がとても興味深いです。

ゆっくりと深堀りしていきたいところです。




2020年9月17日木曜日

ぬっ

 9月15日 千年団 担当:飯坂

今日は新しい脚本が配られました。
またもコロナウィルスに関わる話です。今回は薬局のお話しです。
薬局はトイレットペーパー騒動やらマスク騒動やら、コロナウィルス時期に差し掛かってからはとても苦労されていることと思います。
今回も、実際にあったお話をもとにしているようで、小原さんのお知り合いから聞いたお話だそうです。

授業員控室で従業員がくつろぎながら愚痴を言い合うところに、ある商品を求めてぬっと人が入ってきます。
ぬっと。
このぬっと入ってくる人は男性が順番に演じました。
話が通じなさそうなぼんやりした人から、ちょっと陽気で悪気がなさそうな人、せっかちでせかせかと用件だけ聞いてさっさといなくなってしまう人。
同じ「ぬっ」ですが、どの演じ方もとても面白かったです。

自分の中にしっかり時間が流れていて、それが他人とマッチしない。
掛け合いもとても面白かったです。

無意識な真似

 9/8 そよ風ペダル 担当:飯坂

引き続き、ジャン・ジュネの「女中たち」です。

今日は全部最後まで配られました。最後の方にはとてもとてもとても長いセリフもあって、緊迫した空気が脚本からビシビシ伝わってきました。

どうやらちょうどこの「女中たち」の上演がテレビで流れたようで、それを見た方もいました。最後の方はその方たちに台詞を読んでもらっていました。

読み終わったあと、先週話していた「まね」の話が少し絡んで、テレビで上演を見た人は、その演技を少しでも真似したかどうか、意識的か無意識的かはさておき、という話が出ました。

やはり少しは意識してしまったようですが、今はとにかくこの膨大なセリフの量に圧倒されているようです。

役者としてはとてもやりがいのある脚本です。一通り読み終えることができました。

次回ももう少し読んでいきます。


2020年9月14日月曜日

アクシデントから生まれる演技。

 9月8日 千年団 担当:梶川


現在の短編脚本がおしまいまで書かれて配布されました。

場所がどこかという課題は引き続きありつつ、最後まで書かれたことによって役柄の関係にちょっとした謎があることが書かれました。

さてその謎はなんでしょう。

稽古場では明かされず、場所と同じようにペアごとに考えた上で演じてみてくださいと。

読み合わせをして立ち稽古をしてみて、最後までやると案外に時間がかかるとわかり、全員が発表すると時間が足りないと判明。

3組目からは作品の途中で人が入れ替わるというワークを取り入れます。

先々週のブログで集中して劇的な効果を生むという話をしましたが、まさにこの交代するシーンは劇的であると思っていて。

その集中したいシーンで「役柄を交代する」という段取りで分散する要素が増やされます。

分散に流されそうになるところでより一層の集中をすることで劇的な効果を高まらせる。

時間が足りないというアクシデントから生まれた段取りでしたが、図らずも面白い演技ができる可能性を秘めていました。

稽古の積み重ねというのはアクシデントの積み重ねではないかとブログを書きながら思いました。

コントロールできているうちは、なかなかシーンが前に進まず、何も考えず振り回され振り回すくらいのことで、アクシデントの連続で演技をしていくと途端にシーンが面白くなる。

ただコントロールできていないので、その状況を同じようにまた再現することは難しいというジレンマ

演技は本当に奥深いものだなぁと、それらしくまとめて今日のブログは終えたいと思います。


2020年9月4日金曜日

聞こえるセリフ。

 9月1日 千年団 担当:梶川


追加ページをもらっての読み合わせからの立稽古です。

今日は参加人数が偶数だったので、外側から客観的に立ち稽古を見ていました。

立ち稽古を見ているときは、脚本を見ないで演技を見ています。

事前に脚本を見ているのでどんな会話をしているかはわかっているのですが。

これは今日だけでもないし、他のお芝居の本番を見ている時にもありますが、セリフが聞こえてこないと感じる時があります。

これは発声とか滑舌の問題ではなくて。

なら何によるかというのをはっきり説明できませんが。

関連するかはわかりませんが、例えばネット動画を無音でテロップや字幕で見ることがありますが、その時にはセリフが聞こえてないのにセリフを聞いた体験をすることができます。

それはその動画を一度も音声付きで聞いたことがなくても体験することがあって。

これは現場では気づいていなくて後付けで考えたことなのですが、セリフとは声とは言葉とはと考えた次第です。

ではどのようにすればセリフが聞こえてくる演技ができるようになるのだろうと、これは現場で考えていて。

あっているかどうかの確信もなきまま誤解を恐れずいうならば自己中心的利他の演技をするということかなと。

演技なんてどうしたって主観から生まれるものなので、お客さんがとか相手役がとか、他人の発信に反応してというのは勘違いでしかないのではないかと(暴論)。

それはそれとして受け止めて、その上でどうすれば相手役がやりやすいかとか、相手が面白くなるかとか、お客さんが面白がれるかとか。

自己中心であることを引き受けた上で周りのために演技する。

単純に自己犠牲でも滅私でもなく他者の望みそうなことをする。

勘違いや偽善と言われようと、それで役立つならそれでいいではないか。

絶対善と偽善、果たして見分けがつくのか。

見分けがつかないのなら、プレッシャーがかからない分、偽善で充分なのではないか。

そんなことを考えます。

説明している内容がすでに矛盾を孕んでようにも思いますが。

演技はどこまでも偽で。

偽が人の為と書くということ。

簡単な話を難しく書いている気がします。

なので今回はこのへんで。



2020年9月3日木曜日

ごっこ遊びとまね

 9月1日 そよ風ペダル 担当:飯坂


今日は戯曲を読みました。
ジャン・ジュネの「女中たち」です。「奥さまごっこ」をする姉妹の女中たち。

「ごっこ遊び」と「まね」の違いを話しました。
誰かの話をするときに、そのひとの喋り方を再現することはあるでしょうか?
お笑い芸人のギャグを私たちがするのは?
ものまねタレントがものまねをするのは?
なにが「ごっこ遊び」でなにが「まね」でしょうか。

悪意や嫉妬があるかどうかはキーになりそうです。
まねはパフォーマンスとして、その悪意が伝わるかどうかを計算してやっているのではないか?伝えることが目的なのがまねではないか、と。

女中たちの「ごっこ遊び」はどんどん「ごっこ遊び」の範疇を超えていきます。
遊びだったはずが現実の世界と強い結びつきを持っている。
その揺れ動きを細かく捉えていく、ストイックな作品だなと思いました。

かつての時間

 8月25日 そよ風ペダル 担当:飯坂

2バージョン目の動画配信が始まり、ちらほらと集まった感想をシェアしました。

今日やる予定の脚本も配られたので、適当に切り上げて稽古にうつるかしらと思っていましたが、話がどんどん膨らみ結局1時間半、今回やった上演のことを話し合っていました。とても充実した時間でした。


上演の後半は特にしっかり聞かなくてもいいようなセリフの応酬が続きます。

私はイヤホンをつけて動画配信をみていましたが、その後半部分に差し掛かった時、ふと劇場の客席に座り開演をひたすら待っていたかつての時間にふっと返ったようで、どきりとしました。

もうこんな時間は当分味わえないでしょう。コロナ禍での上演は、客席でのおしゃべりを控えるように言われます。

チラシの束がどーだとか、今回の出演者がなんだとか、私とは関係のない人たちの会話を、聞きたいわけでもないのに聞こえる位置に座ってしまったからなんとなく聞いてしまうあの時間は、もう何ヶ月も経験していません。

そよ風ペダルの上演は、ほんの何ヶ月前のことなのに、もうすでに懐かしくて、当分味わうことができないだろう時間をもたらしてくれました。

皆さんが聞いた感想は、いろいろでした。ちゃんと聞こえないセリフに戸惑ったという感想が多かったようです。

映像だと照明も暗くて、ほぼ真っ暗でした。そうなると余計に耳で得る情報を求める人が多かったようです。

映像配信はまた新たな技術や感性が求められると思いますが、映像配信というものからなんとなく遠いイメージのあるシニア劇団が作品を作り配信したということ、本当にすごいなぁと思います。

作品についてとても活発に意見が交わされました。とてもいい時間でした。