2016年7月20日水曜日

台詞を身につけるプロセス。

7月19日 そよ風ペダル 担当:梶川

先週が筒井さんの公演が本番であった兼ね合いもあり、今日は追加脚本はありませんでした。

なので今日は1場の終わりから今あるところまでを繰り返し稽古していきます。

細かな段取りや演出が追加されていきます。

つまりは役柄の行動が作られていっています。

毎回新たなシーンが追加されていくので、脚本を持ちながら役柄の行動を細かく検証していくという稽古スタイルになっています。

8月中での脚本完成になる予定だと伝えられましたが、つまりはそのころまではこの稽古スタイルが続きます。

問題はすでに稽古を一旦終えてしまった一場について。

しばらくは稽古されることがないわけで、決まった段取りや慣れ親しんだ台詞に対する感覚を忘れないように保持しておかなければなりません。

実は脚本を離しての稽古はしていないので、脚本完成以降の早い段階で台詞を覚えなければなりません。

本番は11月1週目なのですが、あまり時間がないのではないかという予感が・・・。

これは少しずつでもお家なんかで一人で脚本と向き合う時間を持っておかなければという事なんですが。

台詞覚えという言葉とダメ出しという言葉がよく使われますが、なんとなく違和感があります。

このブログでダメ出しという言葉はあまり使った事がありません。

注意点や訂正箇所を指摘していくことをダメ出しと言いますが、演技において間違いということがあるのかという疑問があります。

ダメだしと言ってなされていることは、演出や提案と言い換えていいものではないでしょうか。

ダメなものを直すというイメージではなく、提案されたことを基にしてさらに提案を積み重ねていくというイメージの方が創作するうえで有用ではないかと思っています。

これと同じように台詞覚えには記憶するとか暗記するといったイメージがあります。

はたしてそうなのかという違和感なのですが、こちらに関しては創作する上で有用と思える言い換えや別のイメージがまだうまく描けていません。

話が少しそれますが、紙おむつの性能が上がったことによって赤ちゃんの排泄機能が低下し、おむつを外せる時期がどんどん遅くなっているそうです。

またおむつを外すために改めて低下した排泄機能を訓練して取り戻すトイレトレーニングをしなければなりません。

そういった事から最近、布おむつが見直されたり、おむつをしないで排泄機能を低下させない育児が考案されたりしています。

翻って台詞覚えです。

テープレコーダーを使ったりとにかく手で書いたり歩きながら大きな声で音読したり。

台詞覚えのやり方はさまざまあるわけですが、台詞を覚えたとしてそれを実際に立って相手役とやりとりする時に、またもう一つ別のプロセスが必要になっているように感じます。

そうやって演技を作っている気になっていくわけですが、台詞より前に演技はあるのではないでしょうか。

台詞がないと演じることはできないのでしょうか。

なんだかわざわざもう一度トイレトレーニングをするのと似ている気がします。

もともとある演じる機能を低下させて台詞を覚えて後からもう一でトレーニングしているような二度手間な感覚。

台詞覚えという言葉からはこういったイメージを感じます。

すでに言いましたがではどうするやって台詞を扱うのかの答えはまだわかりません。

逃げ口上としてその人にあった台詞の身につけ方があるのでみなさん探してみてくださいというのですが、どうなんでしょう。

演じるという本質に関わっている気がします。

台詞は覚えるものではないのではないかという問いかけな気がします。

いかがでしょうか、でもどうであれ、脚本を離して相手とやり取りして演じられるようにしていきましょう。