2018年6月26日火曜日

プロンプの多様性。

2018年6月26日 そよ風ペダル 担当:梶川

地震があった影響で先週は休み。
今日も予約していた富田ふれあい文化センターは使えずで、久しぶりの高槻現代劇場です。
毎回のアップ終わりで一声合わせていますが、現代劇場の和室が声の響きが違いまして。
ズレがよくわかります。
裏を返せば揃うと気持ちがいいということです。

そして来週からはリーダーはドイツへ行かれてお休み。
その間は自主練習になりましてセリフ覚え期間にはいるわけですが、それに先立ち脚本を外しての立ち稽古。
ほとんど覚えてないわけですが、プロンプを多用してなんとかシーンを進めていきます。
セリフが出ない不安や緊張から素の状態に、役者でさえなく普段のその人で舞台にいてしまっているのをやめて、とにかく物語を進める、役柄であり続けることを優先する。
意識を外に開き続けるというワークだなと感じます。
セリフを思い出そうとしたり間違えていないかという不安から意識がうちに向かっていきます。
そしてわからなくなるとプロンプターの方を見てしまいます。
これは信頼の話かもしれません。
役者のやるべきことはセリフをいうことではなく、その役柄としてただ舞台に生きていること。
いっそセリフを言わなければならないとは思わず、そのことはプロンプの責任だと開き直って、ただそこにいて周りの役者を見て、話を聞いて、プロンプからセリフが来たらさもわかってましたよという気概でとにかく話を前へ前へ。
プロンプターを信じる、相手役も役柄で居続け先へ進もうとしてくれていると信じる。
信じることと役柄であり続ける気概さえあれば舞台は流れ続けていくのです。
セリフを覚えていなくともなんとでもなる。
何なら代役なんでセリフは覚えてませんよくらいのことがうまくいったりします。

不安になって心が閉じるなら代役だと思いこんでやってしまえばいいのかもしれません。
新たなプロンプ芝居でした。