2019年1月24日木曜日

役者のわたしと脚本の中の役者とその演じている役柄と、さらに時代の隔たりと。

1月23日 そよ風ペダル 担当:梶川

筒井さんがインフルエンザに罹られたということで、今日は急きょ梶川が講座を代講しました。
ゆっくりと体の中心軸を感じながら体操をして、二人組になった体重をかけあって座ったり立ったりをしてアップをします。
体が温まったところで、声を出します。
声の方向性のことから始めようかと思いましたが、話しているうちに声を届けるということをすることになりました。
声の方向(フォーカス)については四つあって自分に向けて、相手役に向けて、客席に向けて、劇場も越えた遠くに向けてです。
向けるとしてそれが本当に届いているかを知るために声あてをします。
目の前に数人が背中向けで立っていますが、その中の誰かを決めてあいさつや問いかけで声をかけていきます。
背中を向けている人は自分だと思えば手をあげます。
比較的みなさんうまくいきました。
舞台経験があるので、知らず知らずのうちにすでに備わった能力でした。
次は何をしようかと悩みつつ、とりあえず筒井さんが稽古している岸田國士の「職業」を配役を決めて読み合わせることにしました。
とても興味深い作品です。
読み合わせのあとは、私がこの作品に対して何が面白いと感じているかの話をしました。
とある劇団の役者たちが新劇の演技を揶揄するやりとりから始まり、稽古課題として即興の練習を始めます。
この新劇の演技と即興の演技という対比に岸田國士の考えが表れているように感じます。
つまりは脚本の書かれた時代背景に興味がわきます。
そして脚本に台詞として書かれている即興を演じるという構造の面白さ。
「職業」を演じている役者がいて、「職業」の役柄としての役者がいて、さらにその役者が即興で演じている役柄があって。
即興なので「職業」の役柄の役者がついつい素で反応した部分と即興の中のから生まれた役柄として演じている部分があります。
しかも即興をすべてわかったうえで演じるという課題があり。
とするなら、役柄の役者のつい出てしまった反応をどう演じるかという難しがあります。
また演じている役者の問題として、脚本が書かれた当時であれば馴染みのある会話が時代を経たことによって非日常的な言葉回しになっているということ。
冒頭の新劇を揶揄して、新劇の演技を誇張して演じることにより、日常的な会話と対比して見せるのですが、その日常的会話も時代の違いにより非日常的に感じられ、新劇の演技との対比を出すのが難しい。
これらの難しさをどうやって解決していくのか、そこに演技の面白さがあると感じました。
現段階の読み合わせは時代がかった台詞回しになれることと、筋を追うことに重点が置かれているように感じました。
提案として、役柄としての役者がつい反応してしまっている部分と即興の役柄になりきれている部分を考えて読んでみてはと。
時代がかったセリフで明らかに演じているということを前提としながらも、それが生の反応なのだとわかるということ。
これはちょっとした奇跡のように感じます。
つまり、人と人のやり取りの中に想像性が生まれている証拠でしょう。
少しハードルは高いですが、そよ風に向いているとてもやりがいのある作品です。
どんなふうに創作されていくのか、とても楽しみです。