2020年11月5日木曜日

戯曲について語り合う

 113日 そよ風ペダル 担当 土井

今日も「かんしゃく玉」を稽古します。かんしゃく玉が弾ける音役は引き続きカンペイさんにお願いしました。タイミングも音にも磨きがかかってきました。

15時まで前半部分を通し、15時からは役を入れ替えて後半部分を。

今日は芝居の稽古より、話し合う時間を長く持ちました。

「かんしゃく」とは何か?怒った時の破壊衝動、怒りを溜めないようにするもの・・・かんしゃくは最終爆発ではなく、そうならない為の制御行動?昔かんしゃくを振るった家族についてのお話をお聞きしました。認知症の症状であったり、元々の性質だったりもあるようですが、言葉で言い表せないからかんしゃくが起きる気がします。かんしゃくを起こさないという人も、かんしゃく玉を投げる心情は想像する事が出来ます。

 台詞について・・・「おれには友達なんぞ一人もない。」

彼の心情がよく表されている台詞です。

自分の事を思ってくれる人がいない、周りは女性である彼女の心配ばかりしている、友情関係が破綻するのは彼にある男性ならではのプライドを周りも知っているからこそ起こる事・・・と。

 彼女についての考察でも盛り上がり、明るく天然で男性から見たらとても魅力的、だからこそ彼は心配なのだと。「おれの愛し方には欠点もあるだろう。・・・」の部分がこの時代にしては男性が本音で話をしていて好感が持てるという意見がありました。

 最後の場面の芝居のテンポはどうなんでしょうか?早いと彼女の改心が早すぎる気もします。彼の、嫉妬と自分への不甲斐なさに対し、彼女がいい奥さんすぎると彼は甘えすぎて良くない、悪妻の方がいいという意見もいくつか。

 

 戦前にしては現代に近い言い回しをする戯曲ですが、

言葉の扱い方が素敵です。最近のドラマは情報量が多い分、わかりやすいように言葉を簡単にしていて、言葉で遊ぶような事がなくなっていますが、それは戯曲(台本)に限らないようで日頃の会話もそうなってきています。教養があれば言葉で遊ぶことが出来ます。複雑な言い回しだからこそ表現できる心情があるのでしょう。言葉が簡単になってしまっているのは、ネットの影響もあるのでは?という意見も出ました。

 

 先週は男性が女性を演じました。

違う性を演じる事で意識的に或いは無意識に変わる事はありますか?男役をする時は声が低くなったという女性に比べて、

男性は高い声を出したわけではないようでした。統計的に女性の声は低くなっているようです。高い声は可愛らしく振る舞うように躾けられた習慣の結果なのかもしれません。普段の生活の中で知らずに人は演技しているのですね。リラックスすると声は低くなりますがかえって聞き取りやすくなるようです。緊張していてもリラックスした声を出せるようになりたいものです。